「国家はなぜ衰退するのか 権力・繁栄・貧困の起源」を読んだよ⑤

こんばんは。

先週は旅行に行ってたので読書はスキップしてました。西日本某所に行きましたが、観光地の飲み屋もガンガンに満員でしたわ。しかし、景気いい店とそうでない店の優勝劣敗がスゴイ。最後に入ったバーとかガラガラだったけど、あれで大丈夫なんだろうか…

引き続き、「国家はなぜ衰退するのか 権力・繁栄・貧困の起源」の下巻を読んでます。

 

<好循環と悪循環>

ちょっと順不同ですが、国家の繁栄には好循環と悪循環がある、という点がポイント。この辺、むーんとうならせられた。

 

①包括的経済、政治制度を持つ国

多様なグループが権力に歯止めをかけるので平等な経済、政治制度が保てる。また、収奪を目指すエリートが国民を収奪してもあまりメリットがないので、より平等になっていく。

名誉革命フランス革命が成功した背景には、絶対君主打倒に加担した多様な勢力が背景にある。商人、ジェントリ、製造業者などなど、既存の政治体制と利権に一線を画する勢力が政治に参加できるようになった点がポイント。

いままで破壊的イノベーションを嫌がっていた専制君主から、経済発展へのインセンティブの所在が異なる商人や製造業者の政治参加で一気に産業が発展した…と考えると、ロマンだね。靴下編み機を考えたウィリアム・リーもこの時代の人物だったら巨万の富を得られたはずなのに…

また、好循環がエリートの権力強化を撃退した事例で出てきたアメリカのニューディール政策の話とか、ちょっとびっくりした。アメリカでも、20世紀の初めには政治権力が法の独立に干渉しようとしていた時期もあったという…ちょっと驚きである。

 

②収奪的経済、政治制度を持つ国

エリートが政治制度を通じて国民を収奪していくと、無限に自分たちの権力を強める方向に制度を改善(改悪?)していく。また、収奪度を上げることで取り分の富を大きくする。(本書では、「政治ゲームで得られる賞金」を増やすと言いえて妙なワードで説明されている)

 

アフリカの農業生産性がなぜ低いのか?これはロバート・ベイツが1980年代に調査したテーマとして紹介されている。その背景には不平等な経済統制が農民のインセンティブをそいでいたからである、との説明がなされてて、この点も考えさせられた。イギリス植民地時代、間接統治のため、現地の首長には徴税権や法を執行する権限が委任されていた。また、販売委員会なる組織が設置され、農産品をすべて買い上げるシステムを作られていた。表向きは農民を守るシステムとされたが、実際は委員会が利益を中抜きし、農民は収奪されていた。

シエラレオネなどの事例が紹介されているけど、このあたりの「植民地時代の制度を継承した収奪的政治体制」みたいなものの姿は、現代の世界にもまだまだ存在する。歴史的帰結とは言え、大航海時代以降の不平等の仕組みについては、ちょっと今後も要勉強だなあ…

 

<ブラックス>

初めて出会ったワードだけど、イギリスの「ブラックス」という集団が出てくる。

18世紀、夜にだれかわからないように顔を黒塗りにして、鹿を違法に狩ったり、養魚場を破壊したりする集団。怖すぎる。地主や政治家がブラックスに襲撃されていたとも。

これは当時、政治的影響力を強めていたホイッグ党への民衆の抗議運動だったとして記述されている。そんなことあるん?ホイッグ党ってどっちかっていうと民主制議会政治の祖みたいなイメージを持ってたけど…と思い、ブラック法で調べたらウィキペディアウォルポールの記事に下記の記述が。

 

ロバート・ウォルポール - Wikipedia

『彼は、庶民院の多数を占め、政治的にトーリーが多い地主を満足させるために、土地税減税を定期的に実施していた。彼が戦争回避の外交に努めたのも土地税減税維持の観点が大きかった。1723年に地主のため「ブラック法」を制定、狩猟権を脅かす密漁行為を取り締まった。1727年には国債利子率を5%から4%に引き下げたが、金融ブルジョワの反発を買うことを避けるため、それ以上の引き下げは避けた。代わりに減債基金の余剰金を一般行政費に流用して賄おうとした。ウォルポールは1730年イギリス東インド会社依存公債の利払財源である塩税を廃止、不足分に減債基金を充当した。1732年に塩税を復活させ、大衆から搾取した。これは新規長期公債50万ポンドの発行原資となった。』

 

ちょっとよくわかんないけど、地主優遇の一環やったんかなあ。それとウォルポールの記事には言論統制についても書かれている。

 

『18世紀前半はジャーナリズム勃興期であり、新聞が世論に大きな影響を及ぼすようになった。ウォルポール政権はこれを危険視し、積極的なジャーナリズム統制政策をとった。ウォルポールのジャーナリスト統制は主に買収と言論弾圧によって行われた。野党ホイッグの立場を取っていた『ロンドン・ジャーナル』紙を1722年に買収して反政府言論をやめさせたのが、ジャーナリズム買収のもっとも有名な事例である』

 

マジでドン引きだわ。買収してまで批判をやめさすんか…。ホンマ、おっそろしい世界ですわ。やっぱり思った以上に近代黎明期は現代的感覚からすると、恐竜時代と石器時代くらいの開きあるな。

これを知ってから見返すと、19世紀初頭にロンドンのスパフィールド暴動やマンチェスターのピータールーの虐殺などなど、まだまだ民衆反乱がおきてましたよー、って聞いても納得かも。議会ができただけじゃ真の平等は達成できてはいないのね。チャーティスト運動なんかもあらためて勉強になりましたわ。

 

<反トラスト>

ちょっと時代が下るけど、アメリカの反トラスト法も好循環の事例として出てきてたな。

20世紀初頭、アメリカではあらゆる産業で巨大企業、巨大トラストが誕生。スタンダードオイル、JPモルガン、USスティール…さすがに名前聞いたことあるね。驚いたのが当時のトラストはその市場で70%以上のシェアを握っていたとも。そりゃやめられなくなりますな。そんな時代に道徳心を失った企業家を当時「泥棒男爵」と呼んだらしい。ネーミングセンス、直接的すぎない?

そんな世知辛い時代に、1890年シャーマン反トラスト法が設置され、20世紀初頭、セオドア・ローズベルトがトラスト解体に動く。その時のコメントの一部が下記。

 

「資本の連合と集中は禁止されるべきではないが、監視され、合理的な範囲で管理されるべきであるとの真摯な確信に基づくものです。」(下巻133ページ)

 

うーん、つまり談合とかでズルしちゃあかんと。ちょっと驚きなんですが、20世紀初頭の当時から、独禁法ってあったんですね。シャーマン法って小耳にはさんだことあるけど、こんな古い法律なの?とちょっと感動。

 

ジョン・シャーマン (政治家) - Wikipedia

しかもシャーマン、共和党。なんか面白い。

今も独禁法についての研修なんかでも触れられる法律が、百年以上前の政治的成果だとすると、ロマンがあるね。当時、大企業に涙をのまされてた人々のおかげで、現代の公正な市場があるのね。

 

この反トラスト運動にジャーナリズムの貢献があったとも紹介されている。新聞などで、泥棒男爵の実態を知った大衆が反トラスト的な政治を支持したと。自由な報道は国民が包括的政治の脅威を知る手段であると。

この一説を見てから、ウォルポールのウィキ見たらなんかガッカリしますな。100年ごとに世界は大きくアップデートされてきているってことなんかなあ。

 

あー、この本、終わらん。面白すぎる。フランス革命を掘り下げて知るブログだったはずなのに、全然違う方向に行ってしまっている。自由、平等、博愛の観点から、こんなものに手を出してしまったからか…

 

酒飲みたいので本日はこんなもんで。